2009/07/06

衝動買い

プリンターのインクが少なくなってきたので、価格COMで値段を調べたら時々仕事の物を頼む通販会社が安いことがわかりそこのHPへ…
そのHPのあちらこちらを覗いていたら「日食メガネ」なるものがある。そうだ7月22日日本でも日食が久しぶりに見れるんだsign03しかも沖縄まで行けば皆既日食が見られるかも…
沖縄は難しくとも、東京で部分日食が見られる可能性
と言うフレーズに誘われて

       Photo

買ってしまいました。
昔はガラスにろうそくで煤を付けて太陽を見たものですが、紫外線をカットできないとかなんとか…
http://www.astronomy2009.jp/ja/webproject/soecl/ng.html
ここにはやってはいけないことなどが書かれています。
今のところ東京で見られる時間は7月22日11時13分ごろが最大(70%位)の部分日食。ただしお天気の方は30%位sign02

詳しいことは
http://tenki.jp/forecast/eclipse

http://www.astronomy2009.jp/

こちらで見てください。
部分日食期待してますsun

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2009/06/18

周南市 人間魚雷「回天」

中国ブロック最後の公演は周南市民劇場+周南市中学校合同鑑賞。
約10年かけて200ステージを超える公演をしてきました。
市民劇場最後のステージでは会員さんが「千穐楽」と書いたプラカードを舞台に向けて掲げお祝いしてくれました。

周南市は元徳山市と南陽市などが合併して周南市となった街。戦前は大津島と言うすぐ近くの島には、あの人間魚雷「回天」の訓練基地があったそうです。
回天は「天を回らし、戦局を好転させる」という思いが込められてつけられた名前だそうです。第二次世界大戦末期、日本がいよいよ劣勢になってきたときに2人の若い海軍軍人黒木博司大尉、仁科関夫中尉が考案したいわゆる人間魚雷です。必死の兵器であり、当初は軍令部などから見向きもされませんでしたが、2人の熱意(?)が採用へと動かしたことになっています。脱出装置のない「必死の」特攻兵器です。これはそれまで海軍が使っていた高性能魚雷93式酸素魚雷を改造したものです。ハッチは一度閉めると開くことが出来ないようになっていたそうで、回天の中の兵士が逃げ出せないようになっていたそうです。
訓練中にもハッチが開かなくなり死んでいった兵士がいたらしい。

写真は映画「出口のない海」の撮影用に再現されたもの。
大津島に渡るフェリー乗り場そばに置いてありました。

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ところで、回天を考案した黒木博司大尉、仁科関夫中尉の2人ですが、黒木博司大尉は大津島基地で訓練がはじまって間もない昭和199月に回天訓練中に遭難し殉職、仁科関夫中尉は同年11月に菊水隊として出撃し殉職。
今回大津島まで行くことはできなかったのですが、人間を兵器として発想する戦争の狂気を垣間見た気がします。
死んでいった人はさぞ無念な気持ちだったのではないでしょうか。

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2009/06/04

移動演劇桜隊

6月1日は今ツアー初の完全休養日sign03
ゆっくりと朝食をとり、午後からは出発時から計画していた「さくら隊殉難碑」へ市民劇場の事務局の方に案内して頂きました。
移動演劇桜隊とは
 第二次世界大戦中、新劇団が強制的に解散させられた後、内閣情報局によって作られた移動演劇隊のひとつです。1945年3月10日の東京大空襲のあと、大都市での公演は不可能となり、中国支部の置かれていた広島に常駐することになりました。 
 1945年7月6日の益田での公演を皮切りに、島根県と鳥取県の8カ所で10回の公演をした桜隊は、7月16日に広島に帰って来ました。8月6日の朝、さくら隊の宿舎には九名の劇団員がいました。朝食のあと(8時過ぎ)原爆に遭いました。一瞬の閃光とともに崩れ落ちた宿舎に押しつぶされた九人。
 島木つや子、笠絅子、森下彰子、羽原京子、小室喜代の5人はおそらく即死だったのでしょう(爆発後の出火での死亡ともいわれています)。
 宝塚出身で、映画「無法松の一生」でも有名になった園井恵子と、新劇俳優薄田研二の息子、高山象三は、復帰1号列車で神戸まで逃げ延びましたが、二人とも前後して亡くなりました。
 多分同じ列車に乗っていた仲みどりは東京までたどり着き、東大病院で原子物理に詳しい都築博士の手で治療を受けましたが、まもなく亡くなりました。「原子爆弾症第1号」として注目された彼女の肺と骨髄の一部は今でも東大病院に保存されています。
 そして、当時、「新劇界の団十郎」と呼ばれていた丸山定夫。彼は最初、呉の手前の鯛尾に収容されていましたが、帰郷していた槙村浩吉と駆けつけた演出家、八田元夫の手により、宮島の存光寺に移されました。10日間、高熱、歯茎からの出血、血尿、激しいしゃっくりが止まらないなどの症状に悩まされました。彼は、敗戦の翌日、自由な演劇活動ができる時代が来ることも知らずに亡くなりました。44才でした。(資料から)

今回は平和公園から案内して頂きました。
原爆死没者慰霊碑で祈り、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。
原爆死没者を追悼し、その氏名や写真を永久保存し平和について考える場となっています。ここには最初丸山定夫・園井恵子の2名が登録されていたのを、広島市民劇場の方が見、当時共に被爆死した7人も一緒に登録しようと他団体の協力も借り今は桜隊全員が登録保存されています。
彼らの写真と被爆経緯を読み改めて戦争の無惨さと平和への思いを強くしました。

その後原爆ドーム

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そして、旧帝国銀行跡(現在アンデルセン本店)、被爆宿舎跡(広島お好み焼き村)を見て、「さくら隊殉難碑」へ
広島の移動演劇さくら隊原爆殉難碑は、原爆投下から7年後の1951年8月中国新聞社芸能記者の人達によって「丸山定夫・園井恵子 追慕の碑」として、白いペンキ塗りの質素な木の碑として新川場町のどぶ川のほとりに建立された。それから4年後の1955年8月に広島で開かれた第一回原水爆禁止世界大会で、碑の建設が、劇団俳優座の永田靖氏らによって、新劇人へ呼びかけられた。建設に当たっては徳川夢声、八田元夫、山本安英の各氏が奔走し、1959年8月、6劇団と「演劇人戦争犠牲者記念会」の協力によって建立されたそうです。

  Photo
系統的に廻れた今回、移動演劇桜隊の無念さが良く伝わって来ました。

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2009/05/29

「菜の花らぷそでぃ」山陰地域

前後してしまいましたが、山陰地域での公演は米子を除き3都市は乗り打ち!
米子には移動日での入りだったので、市内観光を少しだけしました。
寺町通りと言うのかな?お寺が9軒並んでいます。浄土宗4・曹洞宗3・真宗本願寺1・他1

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そして米子城址。登るのが少しきつかったけど見晴らしは良かった。
そして天守閣跡の石垣の石の凄さ


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お城では松江城は劇場の目の前にあったので写真だけ撮りに行って来ました。
ここの天守閣は6番目に古いそうです。


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松江では良い蕎麦屋と出会いました。
「一色庵」

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入り口はこんな感じ、入って左が一色庵、右には倉があってよく確認しなかったのですがカフェかレストランになっているようです。
私が食べたのは割子蕎麦!店に入って注文するとそば湯・そばつゆが出てくるのが面白い。そば湯は蕎麦が出て来た時に又新しいのが出て来ました。蕎麦もこしが適度にあり美味しかった。
おすすめのお店です。

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「一色庵」
住所 松江市殿町123-1
県民会館バス停前 城山、県庁近く

電話 0852-31-7180
営業時間 午前11時より午後5時
夏期 午後5時30分まで

定休日 毎週火曜日
席数 35席

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2009/05/26

「菜の花らぷそでぃ」旅中

14日岡山で初日を開けて10日を過ぎました。
会員さんの評判も上々。
19日からは山陰地域(米子・鳥取・松江・出雲)を回り再び山陽地域へ戻って来ました。
松江は今例会で300例会を迎えました。その記念にと会員さん手作りのシジミのストラップを頂きました。

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今日は岡山県児島での例会。宿舎は瀬戸大橋の見えるホテル。
景色は最高です。
残りのコースも楽しみながら公演を続けます。

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2009/05/19

西大寺

18・19日は岡山市西大寺での公演。
西大寺と言えば「裸祭り」そのお寺は公演会場西大寺市民会館の隣にあります。
仕込みの合間に行って来ました。

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これは仁王門


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そして石楼門


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最後は仁王門から見た本堂です。

岡山市民劇場西大寺事務局会員数を14年間も前回例会をクリアしているそうです。今回もクリアして私たちを迎えてくれました。本当に頭が下がる思いです。

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2009/05/15

旅公演

いよいよ中国地域での「菜の花らぷそでぃ」のツアーが始まりました。
初日の岡山へは新幹線で!
ホームでは市民劇場の担当サークルの方がお迎えしてくれました。
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なんと、会員数・サークル数ともに前例会をクリアしてのお迎えでした。
本当に感謝感謝です。ぜひとも良い舞台を作って応えていきたいと思います。

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